三岸節子

人物名(ヨミ)ミギシセツコ
人物名(英語)MIGISHI,Setsuko

略歴・解説

愛知県起町(現・一宮市)に生まれる。油絵の道を両親に反対されるが、兄の取り計らいによって1921年、岡田三郎助のアトリエに通い、油絵を学ぶ。1922年、女子美術学校二学年に編入。1924年、三岸好太郎と結婚。1925年、第三回春陽会展に出品し、初入選。同年、甲斐仁代らと婦人洋画協会を結成。1932年、春陽会を離れ、第二回独立展に出品し、入選する。1934年、好太郎急逝。同じ年、女艸会の結成に参加。子供を抱えながら画家として生きる決意を新たにする。1936年、佐伯米子らと七彩会を結成。1939年、独立美術協会を離れ、新制作派協会の会員となる。1945年9月、戦火を免れた銀座の画廊で戦後初の個展開催。一九四7年、女流画家協会の創立に参加。1954年、初めての渡仏。南仏に借家を持ち、ヨーロッパ各地を取材旅行。以後、たびたび渡欧を繰り返す。1991年、アメリカ・ワシントン女性芸術美術館で個展開催。1994年、女性洋画家として初の文化功労者となる。1998年、尾西市三岸節子美術館開館。享年94歳。

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