野口小蘋

人物名(ヨミ)ノグチショウヒン
人物名(英語)NOGUCHI,Shohin

略歴・解説

大阪に生まれる。本名、親。字は清婉(せいえん)。初め四条派を学んだ後、当時、関西南画壇を代表する日根対山に入門。1871年に上京するが、75年より甲府市で呉服商をしていた大木宅に滞在。1877年、滋賀県の酒造業「十一屋」を営む野口正章と結婚。翌年には娘・郁(小惠)が生まれ、1879年から三年間、野口家の醸造所と営業所がある甲府に居住。1882年、一家で再び上京。上京後は、内国絵画協会展をはじめ国内外の展覧会や博覧会で数々の賞を受賞し、評価を高めていく。1889年から四年間、華族女学校(現・学習院)の嘱託教授を拝命。また、日本美術協会展への出品も精力的で受賞を重ね、受賞作がたびたび御用品となる。1904年、女性初の帝室技芸員に任命され、翌年には正八位に叙せられる。帝室技芸員となって以来、宮内省からの命により数多くの作品を手掛け、皇族や宮家に重用された。気品ある優雅な花鳥、山水図を得意とし、画壇を代表する南画家の一人として活躍した。享年71歳。

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