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墓石

資料ID4331
資料番号5_0_500
中分類墓石
資料名墓石
資料名(よみ)ぼせき
和暦嘉永7
西暦1854
碑文・銘文【正面】寛政五癸丑年 恵山玄忠居士 六月二十九日 
【右側面】以地面一町歩之取菅谷氏恵山公拝領然処老後天明二壬寅年五月遺言以書付右町歩永代菅澤村中ニ被下置者也 維時嘉永七甲寅年五月刻石記之 
解説菅谷清章(すがやきよあき)は、享保5年(1720)に生まれ、高崎藩主・松平輝貞、輝規、輝高の三代に仕えた家老です。川越藩主・松平信綱公によって開拓された野火止新田(菅沢を含む)は、子孫の転封に伴い高崎藩の飛地となっており、清章は引退後の安永6年(1777)から菅沢村の一画に隠居して、陰で藩政を支えていました。平林寺にある歴代廟所のうち輝貞公の墓前には、清章も石灯籠を献じています。清章は晩年「恵山玄忠入道」と称して諸国を遊歴しましたが、天明2年(1782)に土地と畑を菅沢村に託し、寛政5年(1793)6月、73歳で亡くなります。清明(恵山)を偲んで「恵山通り」と名付けられた道が菅沢を通っています。
エリア野火止
時代・時期近世

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