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川越街道

資料ID3784
中分類地名など
小分類
資料名川越街道
資料名(よみ)かわごえかいどう
時代・時期江戸
公開解説江戸と川越を結んでおり、街道沿いには宿場町がありました。江戸を出て、板橋-上板橋-下練馬-白子(和光)-膝折(朝霞)-大和田-大井町(ふじみ野)-川越に至ります。川越街道は、徒歩や馬で通行するための道路であり、物資の輸送は新河岸川の舟運の役割でした。明治7年(1880)には、地元住民からの要望によって、川越街道の改修がなされており、当時も主要道であったとうかがえます。明治21年(1894)の「新座地域公益道運輸交通調」によると、駄馬・荷車・人力車といった輸送用車両の利用者が旅人よりも少なく、新河岸川の舟運が機能していたと推測できます。明治22年(1895)頃、東京-川越間に乗合馬車が開通し、万世橋を出発して野火止まで22銭、大和田まで24銭で、川越までは40銭でした。
エリア大和田

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