供養塔

資料ID3679
資料番号1_13_501
中分類石塔・石仏
小分類供養塔
型式・様式角柱
資料名供養塔
資料名(よみ)くようとう
和暦明治7
西暦1874
碑文・銘文【正面】当寺三十世 浄蓮宗譽上人専阿無好善啓和尚 
【右側面】明治七甲戌年第十月廿四日寂 度会縣下第拾区 伊勢国飯高郡丹生邨 西村彦左ヱ門二男 同 西導寺従弟
【左側面】稱譽善栄法子 明治六酉年 二月十九日 
【台座正面】筆子中
解説江戸時代の法臺寺には、地域の子ども達に読み・書き・算盤を教える寺子屋がありました。生徒たちを「筆子(ふでこ)」と言い、わずかばかりの謝礼で教えてくれた先生への感謝の証として、筆子塚が建てられました。石碑の側面に彫られた西村彦左衛門(1774-1830)は、現在の三重県多気郡多気町丹生に生まれた人物で、家業である酒屋を営んでいました。水利がなく困っていた村人を見かね、私財を投じて紀州藩を説得し、15年かけて岩を掘り抜き、立梅用水を完成させました。地域の偉人として、生家が保存されています。筆子塚の造立年と生没年に差があるため、石碑に刻まれた人物は「西村彦左衛門」を襲名した子孫の一人でしょう。
エリア片山
時代・時期近代

PageTop