久保 猪之吉

人物名(ヨミ)クボ イノキチ
出身地二本松町
没地東京都麻布
没年月日(西暦)1939/11/12
没年月日(和暦)昭和14/11/12

略歴・解説

日本の耳鼻科医の開祖。旧二本松藩士久保常保の子で、安積中学校、一高を経て、明治33年東京帝大医学部を卒業し助手となっていたが、のちドイツに留学。帰朝して、九州帝大にわが国最初の耳鼻咽喉科を設けて、その専任教授となる。医学会で「イノ・クボ」といえば、耳鼻科の泰斗として国際的著名人であり、ドイツ医学会では「小人の智者」と称されたという。またイギリス・ドイツ・オーストリアの耳鼻咽喉科学会の名誉会員に推され、さらに名誉教授・学術研究会議会員・仏国勲章・旭日重光章・独国レオポルヂナ学士院正会員等の栄誉を受けている。昭和10年、付属病院長を最後に退官。また高校時代から短歌を志し、落合直文に師事して、「ことばの泉」の編纂助手をつとめる。「いかづち会」結成にも参画、「落合先生を偲ぶ会」には斎藤茂吉・与謝野晶子・佐佐木信綱らと同列。その後、高浜虚子に師事して俳句をはじめ、句集『春潮集』がある。さらに、蝶・高山植物研究でも著名である。墓地は東京都港区の青山墓地。

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