平島 松尾

人物名(ヨミ)ヒラシマ マツオ
出身地二本松
没地横浜市
没年月日(西暦)1939/08/13
没年月日(和暦)昭和14/08/13

略歴・解説

二本松藩士・平島正就の子。戊辰戦争では15歳で少年隊員として出陣。終生河野広中の片腕として働き政歴をともにした。明治8年大蔵省に出仕、同10年帰郷し福島県属となる。同14年退官後はもっぱら自由民権運動に奔走し、河野とともに福島自由党の最高幹部となった。「福島自由新聞」の発行には彼が最も力を尽した。同15年12月東京で逮捕され福島に護送された、いわゆる「盟約書」に署名した5名中の1人で、高等法院の裁判では「顚覆論争」を展開したが、禁獄6年の実刑で河野らと宮城集治監で服役した。同22年特赦で出獄。以後衆議院選挙では安部井磐根と競いながら計7回当選した。墓所は二本松市竹田の台運寺。
【通称など】太郎八

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