関屋 敏子

人物名(ヨミ)セキヤ トシコ
出身地東京
没地東京
没年月日(西暦)1941/11/23
没年月日(和暦)昭和16/11/23

略歴・解説

代々二本松藩医の家柄、実業家関屋祐之介の長女。母方の祖父は米人ル・ジャンドル将軍。歌舞伎役者15世市村羽左衛門は伯父にあたる。8歳で皇后陛下御前で独唱、10歳で三浦環に師事し天才少女として知られた。のちイタリア人サルコリーについて声楽と歌劇を学ぶ一方、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学したが、まもなく中退。大正14年、初のリサイタルを開いて好評を博した。のち渡欧し、イタリア・スペインなどで歌劇の主役をつとめ、昭和3年レオナルド・ダ・ビンチ芸術賞授与、ボローニア大学特別卒業証書授与など、国際的評価を受けた。その後も国内はもとより、アメリカ・イタリア・ドイツ・中国などで歌劇や独唱会を開き、国際的実力者として日本声楽界の期待の星と称されたが、睡眠薬にて自殺。墓所は神奈川県横浜市鶴見区の總持寺。

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