渡辺 敏

人物名(ヨミ)ワタナベ ハヤシ
出身地二本松
没地長野市
没年月日(西暦)1930/02/21
没年月日(和暦)昭和05/02/21

略歴・解説

藩士浅岡段介の子、弟に浅岡一がいる。嘉永6年藩校に通い、漢籍を渡辺竹窓・貞華(のちの養祖父・養父)に学ぶ。安政6年、12歳にして出仕、元治1年より富津御台場警備の任につく。明治2年藩校助教授となり、同7年上京して東京師範学校入学。同8年同校小学師範科卒業、28歳にして長野県安曇郡大町村仁科学校へ赴任。同18年、いったん帰郷し若松中学校に勤務したものの、長野県教育界に40年間奉職。その間、校長兼務ながら、子守教育所・補習夜学科の開設、盲人・啞人教育所の付設、さらに長野高等女学校の創設と、教育施設の拡充をはかり、明治37年以降は女子中等教育に専念した。また、その功によりたびたび帝国教育会より表彰を受け、大正5年信濃教育会名誉会長に推され、同6年長野市功労者として表彰、同11年社会教育功労者として文部省表彰を受けた。長野県近代教育の源流を形成した3大恩人の1人に挙げられている。
【通称など】信四郎・利敏・雪窓

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