略歴・解説
郡山安積国造神社、総鎮守二本松神社の神職を兼帯する安藤親重の3男として出生。藩儒者八木文琳について学び、のち江戸に上り幕府学問所の碩学佐藤一斎の学僕となり、ついで林述斎の門に入る。24歳で神田駿河台に私塾を開き、天保2年『艮斎文略』3巻により一躍名声を挙げ、都下屈指の大家に列せられた。天保14年、150石をもって藩校敬学館教授として招かれ、弘化元年江戸詰となり出府、将軍拝謁の機会を得た。嘉永3年、幕府儒官を命じられ、最高学府である幕府昌平黌教授となった。同6年米艦持参の国書、安政1年ロシア使者持参の国書を和訳。門人約3,000人といわれ、吉田東洋、吉田松陰、岩崎弥太郎、高杉晋作など幕末~明治の動乱期に活躍した多くの人物を輩出した。著書には『正続艮斎文略』『詩略』『史論』『洋外記事』『名臣言行録』『烈婦伝』『記事本末評本』『本省日録』等がある。墓所は東京都葛飾区の妙源寺。
【通称など】兵衛、祐助、重信、思順、見山楼