安部井 磐根

人物名(ヨミ)アベイ イワネ
出身地二本松
没地二本松
生年月日(西暦)1832/
生年月日(和暦)天保06/
没年月日(西暦)1916/11/19
没年月日(和暦)大正05/11/19

略歴・解説

藩士・勘定奉行安部井又之丞の子。弘化3年8月江戸藩邸に移り奏者番となる。本居宣長の国学に傾倒、万葉集等を渉猟、詠歌をよくし書は王羲之に学ぶ。明治戊辰の際勤王を志向し、会津・仙台藩への藩使者に随伴して帰順工作に奔走した。明治3年から5年まで若松県の権小参事・参事などを勤めたが、のち帰郷。明治8年には民権結社「明八会」を創設、政治活動を開始。明治12年から15年4月まで安達郡長となり、19年県会議員となり、23年まで勤めその間に議長となる。明治26年7月より衆議院議員4選、副議長を歴任、35年8月議員満期を最後に退く。特に国会においては外尊内卑の欧化主義から外人自由活動容認の内地雑居政策までとられようとするを非とし、大井憲太郎ら同志を糾合、内地雑居反対・現行条例励行を提唱、大日本協会を結成したが、遂にはこの建議案提出により、衆議院の停会、解散の因をつくるなど、治安当局の結社処分にあう。これ以後は公職につかず、北條谷にある真水舎で悠々自適の日常を送り、国学や和歌に親しみ余世を過した。その著には歌集『梅花千首』『磐根翁長歌集』などがある。墓所は二本松市松岡の法輪寺。
【通称など】清介、良成、惣右衛門、真清水廼舎、梅叟

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