大山 忠作

人物名(ヨミ)オオヤマ チュウサク
出身地安達郡二本松町
没地東京都
生年月日(西暦)1922/5/5
生年月日(和暦)大正11/05/05
没年月日(西暦)2009/2/19
没年月日(和暦)平成21/02/19

略歴・解説

染物業を営む大山豊治・きくの次男、2男4女の第3子として生まれる。幼児期を安達太良山と阿武隈川に囲まれた自然環境の中で過ごし、二本松第二尋常高等小学校卒業後に上京、東京美術学校(現.東京芸術大学)で日本画を学ぶ。第2次世界大戦の戦況悪化により、学徒出陣のため繰り上げ卒業となり戦地へ向かう。
終戦を迎え戦地から復員すると、東京都美術館で開催中だった第1回日展を見て感動し、制作意欲を掻き立てられ、第2回日展では「O先生」を初出品し初入選。以後、日本画研究団体「一采社」に参加、山口蓬春に師事し、日展を主な舞台として、描きたい物を描くという姿勢で、人物から宗教、花鳥、風景画まで幅広い題材の作品を発表し続ける。代表的な業績としては、法隆寺金堂壁画再現模写への参加、日本芸術院賞受賞作「五百羅漢」、成田山新勝寺光輪閣襖絵「日月春秋」28面及び「杉」「松」「竹」22面、同じく聖徳太子堂壁画6面「白鷺」「蓮」「桜」「牡丹」「菊」「楓」の制作などが挙げられ、 日展においても、理事長、さらには会長として日本最大の芸術団体の舵取りを行い、わが国の芸術文化の振興・発展に尽力したことが特筆される。平成18年には、写生を踏まえた平明で骨太な描写、さらにその画技と団体への貢献により、芸術文化の向上に寄与したことが認められ、文化勲章を受章した。

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