根本 愚洲

人物名(ヨミ)ネモト グシュウ
出身地小浜
没地二本松
生年月日(西暦)1806/
生年月日(和暦)文化03/
没年月日(西暦)1873/04/03
没年月日(和暦)明治06/04/03

略歴・解説

代々町医者の家に生まれ、幼少より画をよくし、染屋に奉公し、衣紋書の名人として評判を得た。のち藩主丹羽長富に認められ、命により文政11年大原文林と共に谷文晁の門下生となり、すぐに師の代筆をも務めるほどになった。その後、長崎に渡り、帰化僧鉄翁を師とし南画を極め、肥・薩2州を遍歴し画名を高めた。のち江戸藩邸に帰り、御側絵師として60石、ほかに硯、筆、唐墨、絵具なども支給され藩主の寵遇は厚かった。維新後、小浜に戻り、のち二本松に住した。墓所は二本松市竹田の顕法寺。
【通称など】辰三、巽、器、文映、三石道人

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