隼人人身質入借米状

よみはやとじんしんしちいれしゃくまいじょう
資料ID35587
コレクション名越後文書宝翰集
時代120
指定重要文化財
解説隼人という者が発智新左衛門尉から米三石を借り受けるに際して書いた借用証文。質物として「それがしの子どもの母」、すなわち自分の妻を預けて奉公させるとしている。隼人が米を借用したのは、慶長3年(1598)に上杉景勝が越後から会津へ国替えとなり、引越しがほぼ完了する時期である。

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