三浦和田茂実申状

よみみうらわだもちざねもうしじょう
資料ID35394
コレクション名越後文書宝翰集
時代100
指定重要文化財
解説建武3年(1336)、建武政権によって収公され近衛基嗣に与えられた奥山庄内中条・金山両郷の地は相伝の所領であるとして和田茂実が訴え出たときの文書。裏面にはそれを認める旨の文言と足利尊氏の花押がみられる。ただし、両郷は元弘3年(1333)に茂実に与えられており(三浦和田氏文書1巻22号)、そのうち中条は翌年中条茂継が取り戻し(山形大学所蔵文書)、さらに金山郷の実行支配は和田又次郎らが妨害しているので(同1巻23号)、茂実の訴えた内容には不明な点があり、この背景には三浦和田氏内部の紛争があるとも考えられる。

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