経歴 | 1894年(明治27)、神奈川県三浦郡横須賀町(現横須賀市)に生れる。三重県鳥羽や北海道根室で少年時代を過ごす。1908年(明治41)、14歳で絵に興味を持ち始め、根室商業学校を中退。17歳で上京し、文展出品者・高橋勝蔵のもとに通いはじめる。翌年には日本水彩画会研究所に入会し、大下藤次郎ついで永地秀太に師事する。同研究所で林倭衛と親交を深める。1913年(大正2)に根室に戻り、画業の中断を余儀なくされるが、1921年(大正10)に渡仏。秋のサロン・ドートンヌに小品が初入選する。1925年(大正14)、肺を病み、南フランスのカーニュに移る。1926年(昭和元年)、ニースの画廊に預けていた作品がマティスの目にとまり、「この男は色彩を持っている」と称賛される。以後、マティスのもとをたびたび訪れ、作品を見てもらうようになる。1931年(昭和6)春陽会会友に、33年には会員に推挙されるが、34年にこれを辞退。同年、和田三造の紹介で商工省の嘱託としてヨーロッパ各地の工芸事情を視察。報告のため、翌35年(昭和10)に帰国。1952年まで日本で過ごすこととなる。1936年(昭和11)、梅原龍三郎の強い勧めで国画会会員となり、第11回国画会展に滞欧作27点を特別陳列する。翌年、第1回佐分賞を受賞。1952年(昭和27)、再度渡仏。1986年(昭和61)に茅ヶ崎に落ち着くまで、カーニュやニースを拠点にきらめく色彩にあふれた絵画を描いた。1993年(平成5年)、「中村彝賞」を受賞。1996年(平成8)、102歳の生涯を閉じる。 |