東京藝術大学版画教室制作カレンダー一括
作品名英文表記 | Calenders, Printmaking Section, Tokyo University of the Fine Arts |
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作家 | 中林忠良/駒井哲郎/野見山暁治 |
制作年(西暦) | 1989-93,95,96,98-2009年 |
素材 | リトグラフ、紙 19点 |
サイズ(cm) | 各約71.0×53.0 |
取得方法 | 寄贈 |
取得年度 | 2014(平成26)年度 |
作品名英文表記 | Calenders, Printmaking Section, Tokyo University of the Fine Arts |
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作家 | 中林忠良/駒井哲郎/野見山暁治 |
制作年(西暦) | 1989-93,95,96,98-2009年 |
素材 | リトグラフ、紙 19点 |
サイズ(cm) | 各約71.0×53.0 |
取得方法 | 寄贈 |
取得年度 | 2014(平成26)年度 |
作家名よみ | コマイ・テツロウ |
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作家名ローマ字 | KOMAI, Tetsuro |
生年 | 1920 |
生年(和暦) | 大正09年 |
没年 | 1976 |
没年(和暦) | 昭和51年 |
作家名よみ | なかばやし・ただよし |
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作家名ローマ字 | NAKABAYASHI,Tadayoshi |
生年 | 1937 |
生年(和暦) | 昭和12年 |
経歴 | 1937年(昭和12)、東京に生まれる。1963年(昭和38)、東京藝術大学絵画科を油画専攻で卒業。在学中から駒井哲郎の指導で腐蝕銅版画をはじめ、同大学大学院では版画を専攻した。同年の第31回日本版画協会展において、エッチングとアクアチントを併用した作品で初入選となる。65年(昭和40)大学院修了後は駒井の助手となり、その後、助教授をへて1989年(平成元)より同大学教授をつとめた。その間、1973年(昭和48)第4回版画グラン・プリ展でグラン・プリを受賞。83年(昭和58)、第1回中華民国国際版画ビエンナーレで国際大賞受賞。翌84年には第7回東ドイツ国際版画トリエンナーレでインターグラフィック賞受賞。86年(昭和61)、第11回クラコフ国際版画ビエンナーレで優秀賞、第5回ソウル国際版画ビエンナーレで国際大賞受賞など、海外からも高い評価を受けている。幼少期より繰り返された転居と戦争期の雪国への疎開体験などが版画と自己をつなぐ遠因と回想し、銅版の腐蝕から発想した「すべて朽ちないものはない」という思想のもと制作を続けている。その技法はエッチングを基本としているが、アクアチントやリトグラフ、ドライポイントなども併用した多彩で精緻なニュアンスを実現している。日本版画協会理事をつとめる。 |
作家名よみ | のみやま・ぎょうじ |
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作家名ローマ字 | NOMIYAMA,Gyoji |
生年 | 1920/12/17 |
生年(和暦) | 大正09年 |
没年 | 2023/06/22 |
没年(和暦) | 令和05年 |
経歴 | 1920年(大正9)、福岡県生まれ。1938年(昭和13)、東京美術学校油画科予科に入学。翌年本科に進む。在学中の1942年(昭和17)、第20回春陽会に初入選。1943年、東京美術学校卒業。1948年(昭和23)、第12回自由美術家協会展で協会賞を受賞、同協会会員となる。1952年(昭和27)、渡仏。1954(昭和29)年からサロン・ドートンヌへ出品し、1961年(昭和36)会員となる。1958年(昭和33)、ブリヂストン美術館で個展開催。また「岩上の人」で第2回安井賞を受賞。1964年(昭和39)、帰国。1972年(昭和47)、東京芸術大学教授に就任、1981年(昭和56)、同校を退官し、名誉教授となった。文筆にも優れ、1978年刊行の著書『四百字のデッサン』は、第25回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。練馬区立美術館では、1996年(平成8)に「野見山暁治展-その、動く気配の一瞬の形を」展を開催した。2023年(令和5)、死去。享年102才。 |