経歴 | 1931年(昭和6)、茨城県に生れる。本名は飯島孝雄。1954年(昭和29)東京教育大学芸術学科を卒業。在学中の1953年より瑛九を中心とするデモクラート美術家協会に参加。1955年(昭和30)、タケミヤ画廊にて初個展。明るい色彩の油彩画を発表し注目を集める。1958年(昭和33)、ニューヨークに渡る。1962年(昭和37)より芸術運動<フルクサス>に参加。数々のハプニングやエンヴァイラメント(環境芸術)、マルチプルを制作。またこの頃、靉嘔の代名詞ともなる、すべてのものを虹のスペクトルで塗り込める独自のスタイルが誕生する。1963年(昭和38)、ニューヨークのゴードンズ・フィフス・アヴェニュー・ギャラリーで個展。以後世界的なアーティストとして各地で活躍し、1966年(昭和41)第33回ヴェネツイア・ビエンナーレ、1970年(昭和45)第7回東京国際版画ビエンナーレ展、1971年(昭和46)第11回サンパウロ・ビエンナーレ展、1972年(昭和47)第4回クラコウ国際版画ビエンナーレ展など数々の国際展に出品、受賞を重ねる。国内でも茨城県立近代美術館(2000年)、福井県立美術館、宮崎県立美術館(2006年)、東京都現代美術館(2012年)など、公立美術館における大規模な個展を成功させている。 |