落葉かく人の居る風景
作品名英文表記 | Landscape with Figure Raking Leaves |
---|---|
作家 | 速水御舟 |
制作年(西暦) | 1916年 |
素材 | 紙本着色 掛軸 |
サイズ(cm) | 41.0×56.0 |
取得方法 | 購入 |
取得年度 | 1996(平成8)年度 |
作品名英文表記 | Landscape with Figure Raking Leaves |
---|---|
作家 | 速水御舟 |
制作年(西暦) | 1916年 |
素材 | 紙本着色 掛軸 |
サイズ(cm) | 41.0×56.0 |
取得方法 | 購入 |
取得年度 | 1996(平成8)年度 |
作家名よみ | はやみ・ぎょしゅう |
---|---|
作家名ローマ字 | HAYAMI,Gyoshu |
生年 | 1894 |
生年(和暦) | 明治27年 |
没年 | 1935 |
没年(和暦) | 昭和10年 |
経歴 | 1894年(明治27)、東京浅草の蒔田家に生まれる。本名栄一。1908年(明治41)、松本楓湖の安雅堂画塾に入り、はじめ「禾湖」と号した。1911年(明治44)、今村紫紅や小林古径らの紅児会に入会、号を「浩然」と改める。1913年(大正2)より原三溪の援助を受け、京都に移住して研鑚を積む。翌14年(大正3)より母方の実家速水姓を名乗り、号も「御舟」とした。同年、日本美術院再興に際して帰京、第1回展に出品。また、紫紅らと赤曜会を結成。印象派の鮮烈な色彩感や点描表現を応用した大和絵風南画(新南画)の画風を盛んに試みたが、1916年(大正5)の紫紅の死によって赤曜会解散。翌17年(大正6)再び京都に移って制作に打込む。同年、日本美術院同人となる。1919年(大正8)頃から対象を凝視した細密描写による制作をすすめ、《京の舞妓》や《炎舞》(重文)などの名作を残す。1929(昭和4)には、琳派やロシア構成主義なども取り入れた《名樹散椿》(重文)を発表し、翌年のローマ開催日本美術展にこれを出品するとともに渡欧。1935年(昭和10)、腸チフスのため急逝。 |