略歴・解説
和泉国伏尾(現・大阪府堺市)出身の軍人、政治家。鈴木家は代々関宿藩に仕えた家で、父親は飛び地として和泉国にあった関宿藩領の代官をしていた。海軍兵学校、海軍大学校を卒業し、海軍次官としてシーメンス事件の後処理をする。海軍兵学校長、第二艦隊司令長官、第三艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官、第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任。昭和4年(1929)に侍従長に任命される。同11年、二・二六事件で襲撃され重傷を負う。同19年に枢密院議長、20年に第42代内閣総理大臣に就任し、日本を終戦に導く。戦後は関宿町(現・野田市関宿台町)で晩年を過ごし、同地での酪農の推奨等、地域の発展に尽力した。市内の鈴木貫太郎記念館(野田市関宿町1273)にゆかりの品が展示されている。