思い出ふくらんで 「島尻少年の船」参加作文集
| 資料グループ | 広報さしき 第171号(1991年10月) |
|---|---|
| ページ | 8-9 |
| 発行年月日 | 1991/10/12 |
| 内容コード | G000000614-0016 |
| 記事内容 | 21世紀は ぼくたちが 馬天小学校5年 与那覇一月 ぼくは、島尻少年の船に参加すると聞いて、最初はいやだなあと思いました。でも、事前研修に参加してみると少しずつ楽しくなってきて、早く本研修に行ってみたくなりました。本研修に行くと、先生や班の人たちに迷惑をかけて注意されてしまいました。ぼくは、反省してみんなに注意されないようにがんばろうと思いました。また悪い心が出てきてその決心がくずれ去ることもあるけど、ぼくは悪い心に負けないよう努力し、がんばろうと思います。 2日目に原爆資料館を見学して、大勢の死者が出たとわかりました。ぼくたち島尻少年の船の団員は、せんそうの四文守を忘れずに、せんそうをなくし、21世紀を支えて頑張っていきたいと思います。 ぼくは、県の少年の船に参加したいとこから、県はきびしいと聞きました。朝は5時に起きるそうです。 ぼくは、どんなにきびしくても、今度は県の少年の船に乗りたいと思っています。 またの出会いを楽しみに 馬天小学校6年 運天智美 8月3日、私は初めて親もとを離れて、6泊7日の研修に出発した。初めは船酔い、バス酔いなどの心配があったが、班長はじめみんなとても明るかったので、乗り物酔いの心配はなくなった。1日目の夜、みんな遅くまで起きていて、あまり寝むれなかった。 2日目、下船してからの対面式では、1号車から6号車までのバスガイドさんと運転手さんの紹介などがあった。私たち2号車のガイドは斉藤さん、運転手は本田さんだった。ガイドさんはとても明るかった。 3日目、球磨川下りでは、大雨が降ったために川の水が増えて、いつものコースの半分しかできないと聞いてとてもがっかりした。 4日目の韓国岳登山では、言葉に表せないほど苦しかった。でも、頂上に立った時の気分は、とっても良かった。 5日目、姶良地区との交歓会では〝霧島俵踊り〟や〝バラ踊り〟など姶良地区の郷土芸能などがあった。また、カード交換では、ひょうたんの飾り物を記念品としてもらったが、麻美さんがぶっこわしてしまった。また、霧島神宮では、おみくじを引いたり、1カ月前に免許を取ったおばさんのために〝交通安全〟のお守りを買ったりなどした。 早いようで短かかった6泊7日の〝少年の船〟。9日の16時でみんなと別れないといけなくなる。いつどこで会うのかわからない。だれと会うのかわからない。でも、いつか会える日を楽しみにしている。 印象に残った韓国岳登山 馬天小学校6年 小浜みずえ 私が今までの研修で一番印象に残っている事は、8月6日(火)の午後に行なった韓国岳登山です。 登り初めはバス酔いで苦しかったので、途中で終ろうと思っていましたが、頂上まで行くことができました。頂上は、涼しくて気持ちがよかったです。風景がきれいでした。 下りる時、すべったり転んだりして、気に入りの靴を汚したり、トレパンにべちょっと泥がついたり、パーカーが汚れたりと大変でした。みんな、疲れた疲れたといって、バスで寝ている人もいました。 もうやりたくない登山、一生に一度の体験だと思います。 母にすすめられて 馬天小学校6年 浦崎 奈津子 私が少年の船に参加したわけは、実は母が言い出したからです。それは、学校で少年の船の申し込み用紙をもらって「どうせ当たらないだろう」と思って放っておいたら、母がそれを見つけて「行きなさい。勉強になるよ。ぜひ行っといで」としつこくせかすので、まあだめで元々、と覚悟して申し込み用紙を出したら当たったと、まあこんなことです。 最初乗り気しなかったけど、勇気を出して、いろんな友達をつくることを誓い、行くことにしました。出発の日、少し遅れて行くと、結団式の始まる寸前でした。 船から家族に手をふって、出発です。九州に着いても、まだ沖縄にいるような感じがしました。バスガイドの山下さんは、1号車から6号車までで一番きれいなバスガイドさんでした。風流な家がいっぱいあって、ついつい写真を撮りすぎてしまいました。 他のいろいろな行事を終えて、長いようで短かった1週間。荷物は重~いけど、心は軽くはずんだ、そういうお別れのしかたをしたいなと思い、また、研修後も、手紙を出したり写真を送ったりして、ふだんの友達として、楽しくつきあいたいと思いました。 初めて行った九州旅行 佐敷小学校6年 目取真理恵 私は、大阪や東京へは行った事がありますが、九州地方の旅行は初めてでした。乗り物酔いはしないか、洋服は足りるかと心配ばかりしていました。2日目に平和公園へ行った時、戦争中の人々の苦しみを彫った彫刻を見ました。赤ちゃんが死んで悲しんでいる母親、苦しみでもがいている人などがあって、とてもかわいそうです。 3日目は川下りで、川の流れが遅くなったり速くなったりして、とても楽しかったです。4日目は、山登りで韓国岳に登りました。近くの低い山かと思ったらその隣りの高い山だったので、初めから気疲れをしてしまって、足が棒のようになっていました。みんなへとへとで、途中で休んでいる人がいました。でも、最後まで登った時、自分がわがままも言わずへこたれなかったので、自分としてもえらいなと思います。 いよいよ明日で終りです。同じ班の友だちや、ほかの班の友だちと別れるのはつらいけど、別にまた会えるので、また会う日を楽しみにしたいと思います。 思い出に残った少年の船 佐敷小学校6年 西村紀彦 ぼくは、少年の船に参加できてうれしかったです。バスの運転手の安全な運転とわかりやすいガイドさんの説明でいろいろな所に行き、いろいろなことがわかりました。 長崎に着いたときぼくは、とてもびっくりしたことがあります。それは、九州には、沖縄よりかわらの家が多いことです。それはなぜかといまだに不思議です。 ぼくたちは、初めの日からいろいろなところを見学です。列車の旅もありました。列車に乗ったことはないので、ちょうどいい機会だったです。ホテルはほとんど変わり、いろんなホテルに泊まりました。登山は韓国岳に登りました。とても足がくたくただったです。ショッピングは、千々石観光センターとジャングルパークで買いました。おみやげは、いっぱい買いました。あとは、熊本城、磯庭園、尚古集成館を見、平和祈念公園、国際文化会館を見学しました。そこは、戦争時代の武器や昔の人たちの道具などが展示されていました。ほかに、球磨川下り体験学習などをしました。 姶良地区子ども会のみんなといっしょに交歓会を行いました。早く友達ができてうれしかったです。九州のことがいろいろわかりました。第2回島尻少年の船のいい思い出になりました。 楽しかった我が四班 佐敷小学校6年 和泉久美子 「ドックン、ドックン」。心臓の音が外に鳴りひびくかのように、大きく鳴っています。心臓のドックンの音の意味の1つ目には、家族と離れて暮らせるか、2つ目は、友達と仲良くできるか、などでした。でも、その不安は、4班と他の班の人にやさしくされて消えました。 初めのうちは、家族の所へ帰りたいなどと思ったものですが、2日、3日、4日とたつうちに、今度はみんなといっしょにいたいと思うようになりました。それほどにこの班は楽しいのです。 九州旅行では、私が迷惑をかけたために少し班のまとまりが悪くなってしまいました。登山では、私の気分が悪いときに、うちの班の班長がいっしょに来てくれて本当にうれしかったです。離島の子も班になじみ、なによりです。 ぼんぼんだいこは宝物 佐敷小学校6年 小波津祥子 「わあー」と声が聞こえる。今、私達は姶良地区に迎えられている。何々とか言いながら行進していく。どんな人がいるかなー。どんな子がいるかなー。友達もできるかなー。心配ばかりしていました。 やがて、レクリエーションが始まりました。初め、みなちゃんというカワイイ女の子と手をつなぎました。 私は、いつもどおりに話をしたり、おしゃべりしたりしました。みなちゃんとか、あかねちゃんとか名前を呼びすてにして楽しく遊びました。男の子二人がいました。女だけと思ったけど、私は普通どおりに「名前なにー」とか聞きました。 レクリエーションが終ると、楽しい弁当になりました。レクをやったあとなので、「カチャ、カチャ」と鳴りひびく冷たいジュースは、どんな飲み物にも負けないぐらいとてもおいしかったです。そして、プレゼントをみなちゃんの胸に付けてあげ、私はぼんぼんだいこをもらいました。うれしかったです。そのみなちゃんからもらったたいこは、どんなおみやげにも負けないくらいの宝物です。 |
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