くしゆっきい37 嶺井さんとワーナーさん
| 資料グループ | 広報さしき 第117号(1987年5月) |
|---|---|
| ページ | 5 |
| 発行年月日 | 1987/05/10 |
| 内容コード | G000000543-0009 |
| 記事内容 | 与那原で「嶺井医院」を開業していた嶺井強二さん(故人)は、医者には珍しいほどの石部金吉であった。那覇での会合で同席したとき「僕は桜坂に行ったことがない、会が終ったら連れていってくれないか」という。 〈桜坂に行ったことがない〉とは全く驚きであった。「しかし大丈夫かね、危なくないかね」と念を押している。 当時は桜坂の全盛時代で男なら一度や二度、いや毎日のように、通う御仁もいたのである。 さて桜坂の、とあるバーに入ると嶺井先生は珍しそうにあちらこちらを眺めたり、女性達の話に肯いたりで、その雰囲気に浸っているようであった。一時間程で桜坂を後にして帰路についた。 「桜坂はなかなか良い所だね。今日は大きな社会勉強をさせてもらった。大の男達がうつつを抜かすのも無理ないね」 その後彼が再び桜坂に行ったという話は聞いていない。彼は最後まで愛妻家として生涯を閉じたのである。 ところで、「嶺井医院」の跡はワーナー牧山さんが「牧山医院」を開業している。牧山さんのご主人ゴードン・ワーナーさんは米民政府教育局長として活躍された方である。そのワーナーさんが離島を視察したとき、お年寄りが「イヤーナーヤ ヌーンディガ?」(あなたの名前は何ですか)と聞いたところ「ワーナーヤ ワーナーヤサー(私の名前はワーナーですよ)と答えたという。つくり話であろうが面白い話である。 ワーナーさんは大の親日家で、「和名悟道」という素晴らしい日本名の名刺を持ち、居合術五段、剣道六段の腕前である。(前城) |
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