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遠目塚遺跡

ヨミとおめづかいせき
所在地雲仙市南串山町
尾登名字墓ノ下
緯度32.68
経度130.16138900000001
地形丘陵
種別墳墓
時代古墳時代
指定その他
所蔵館長崎県立埋蔵文化財センター
説明 島原半島南西部に位置し、雲仙岳山塊から南西にのびて橘湾に面する標高27mの丘陵端部に立地する。昭和51年(1976)の台風17号が長崎県を直撃し、板引集落の裏手の丘陵先端部が崖崩れを起こした。その復旧工事の際に箱式石棺墓1基が発見され、南串山町教育委員会によって調査が実施された。石棺は、北西から南西の主軸方位を向く。石棺が据えられた墓坑は、隅丸長方形の二段掘の土坑である。底面には、棺材を組むための溝が掘られ、棺材を並べてから黄褐色砂を多く含んだ粘質土を敷いて棺床を形成している。遺物は、北東側の棺床付近に銅鏡片が四つに分散して出土し、他に硬玉製勾玉1点、滑石製と蛇紋岩製の小玉63点、鉄鏃3点、刀子2点が出土した。銅鏡は、直径8.3cmの小形の内行花文仿製鏡と考えられる。本石棺の年代については、土器が出土していないが遺物の組成から5世紀前半代に位置づけられ、古墳時代前期における当地域の有力な豪族の墳墓と推測できる。

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