大塔物語

大分類歴史
中分類真田家
Web公開用解説大塔合戦の模様を71歳の僧堯深が書き写したものである。国人の反抗のため信濃統治に失敗した室町幕府は、応永6年(1399)秋、小笠原長秀を守護職に補任した。守護就任の折、領主などを召集したが、その際の振舞いがいたく反感をかい、9月に更級郡布施郷(長野市篠ノ井)にて小笠原勢と村上・仁科両氏を中心とする連合軍との間に紛争が起こった。長秀の本隊は激戦の末、塩崎城に入ったが、連絡を絶たれた小笠原勢の一隊は大塔の古要塞にたてこもり、包囲されて孤立無援20日余り、ついに力つき、坂西長国以下三百余人討死という結果になった。
受入番号2008C00005

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