鴫谷山山論裁許絵図 附「鴫谷鴨瀬両山絵図箱/寛文九年/己酉九月日/今里村・井内村・鶏冠井村・上植野村」墨書の箱

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「むこうしの文化遺産」17 鴫谷山山論裁許絵図 附「鴫谷鴨瀬両山絵図箱/寛文九年/己酉九月日/今里村・井内村・鶏冠井村・上植野村」墨書の箱

資料名(ヨミ)「ムコウシノブンカイサン」17 シギタニヤマサンロンサイキョエズ ツケタリ シギタニカモセリョウザンエズバコ/カンブン9ネン/ツチノトトリ9ガツニチ/イマザトムラ・イノウチムラ・カイデムラ・カミウエノムラ ボクショノハコ 
解説向日市指定文化財 上植野町自治連合会所蔵 
本紙:縦137.4㎝・横310.3㎝ 包紙付き 箱:縦52.3㎝・横44.4㎝・高さ11.8㎝ 寛文9年(1669)9月7日付
 
 広く長い形に漉(す)かれた間(ま)に合紙(あいがみ)を、縦2枚、横10枚、計20枚貼り付いで作った大画面に、西山山中にある鴫谷山(現在京都市西京区)の様子を描く。この絵図は、江戸前期の寛文9年に、乙訓郡小塩村内の山をめぐる争論がおこった時、京都所司代:京都東西町奉行が下した裁定の内容を書き込んだ裁定絵図の写し。中央に争いの場となった鴫谷山を大きく描き、左側に鴨背(かもせ)(瀬)山(現在のポンポン山)を描き添える。鴫谷山への入会権を共有する鶏冠井・上植野(現在向日市)、今里・井内(現在長岡京市)の4ヵ村は、右側に小判形で示される。
 裏面全体に裁許の内容が墨書され、それによると鴫谷山の用益をめぐり小塩村と4ヵ村が争い、4ヵ村の柴草刈り取りの権利は認められた。裁許の内容を示した絵図が双方に下げ渡され、4ヵ村では複製を作り、原本は今里・井内、複製は鶏冠井・上植野と2ヵ村ごとに交替で保管、長年にわたり権利の証拠とした。

(向日市文化資料館開館25周年記念特別展「むこうしの文化遺産―みぢかな歴史のモノがたり」図録より)
※平成21年(2009)10月31日発行

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