阿弥陀如来立像 (正面) (寺戸 来迎寺)
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「むこうしの文化遺産」11 阿弥陀如来立像
資料名(ヨミ) | 「ムコウシノブンカイサン」11 アミダニョライリュウゾウ |
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解説 | 向日市指定文化財 寺戸 来迎寺(らいこうじ) 寄木造(よせぎづくり) 玉眼(ぎょくがん) 肉身粉溜(ふんだみ)・衣部漆箔(しっぱく) 像高 78.2㎝ 鎌倉時代 腰を右に捻(ひね)り、左足を少し前に出した動きのある流麗な姿勢に、13世紀の彫刻の特色を示す像である。相貌は肉髻(にっけい)高が低く、おだやかでややふっくらとした表情に愛らしささえ漂わせる。このような作風に近い仏師として、運慶(うんけい)の子湛慶(たんけい)があげられる。 この像のもっとも注目すべき点は、ソフトX線写真撮影の結果、明らかになった異色の構造技法にある。ふつう着衣は肉身と一体に彫り出して、前後二材を矧(は)ぎあわせるが、この像は胸部の肉身部と着衣が別材で、肉身部は大衣(だいえ)のなかにさらにのび、膝のあたりで終わっている。前面の裳(も)と足先は一材に作り、大衣の裾から差し込んでいる。肉身部の終端との間には空間がもうけてあり、あるいは像内納入品があったかもしれないが、現在はみとめられない。このように外見上わからないような部分に面倒な工程をとるのは、肉身と衣とが本来は別のものであることを観念的に示す意図があったと考えられ、鎌倉時代の写実性の一面をうかがわせる。 来迎寺(らいこうじ)は浄土宗西山(せいざん)派に属し、粟生(あお)光明寺の末寺。享保年間(1716~1736)の“寺戸の大火”に焼失したが、本像のみは救い出されたといい、目尻にその時のものと思われる痕が残る。 (向日市文化資料館開館25周年記念特別展「むこうしの文化遺産―みぢかな歴史のモノがたり」図録より) ※平成21年(2009)10月31日発行 |
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○国際シンポジウム「20世紀の和紙 ー寿岳文章 人と仕事ー」(令和3年10月16日開催)記録映像
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