日本心神

TitleThe Spirit of Japan
作家名横山大観 YOKOYAMA Taikan
技法・素材墨、金泥、絹
circac.
制作年1944
制作年(和)昭和19
制作年(推定) 
寸法縦(cm)55.00
寸法横(cm)66.20
作品・作家解説横山大観[よこやま・たいかん] 
1944(昭和19)頃 墨、金泥、紙、軸 55.0×66.2cm

横山大観は再興日本美術院の主宰者として、また、展覧会のたびごとに意欲作を発表し、大正、昭和の日本画壇を常にリードし続けましたが、その一方で、富士山をライフ・ワークのように描いていました。その数は生涯に1,000点以上にものぼるといいます。気品と気迫にあふれる秀麗な富士の姿を描いた本作品の題名が「日本心神」と名付けられていることからもわかるように、大観は富士を日本精神の理想を具現化した姿だと考えていました。さらに、“富士を描くということは己を描くことである。己が貧しければ、それに描かれた富士も貧しい。”と語っています。作画の理想を東洋画の高い精神性に求めた大観にとって富士を描くことは、千変万化する山容の美を描くことの楽しみとともに、自らの精神を高めておくために欠くことの出来ない修養でもあったようです。

横山大観[よこやま・たいかん] 1868(明治元)―1958(昭和33)
幼名秀蔵、後に秀麿と改名。1889年新設の東京美術学校に入り岡倉天心、橋本雅邦に師事。96年母校の助教授となるが、98年天心の辞職に殉じ退職、下村観山、菱田春草らと日本美術院創設に参加、新たな日本画の創造をめざす。天心没後の1914年日本美術院を再興、精神性の高い数々の名作を発表し、大正・昭和の日本画壇をリードした。

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