絵葉書
| 文化財番号 | RS-870-29 |
|---|---|
| 大分類 | 有形文化財 |
| 中分類 | 美術工芸品 |
| 小分類名 | 歴史資料 |
| 指定区分 | 未指定 |
| 文化財名(ヨミ) | エハガキ |
| 形状 | 葉書 |
| 材質 | 紙 |
| 制作者 | 上原勇作 |
| 受取人(関連人物) | 須田米子(須田利信孫) |
| 時代区分1 | 近代 |
| 員数 | 1 |
| 点数 | 1 |
| 文化財状態 | 保管 |
| 受入区分 | 寄贈 |
| 所蔵館・管理施設 | 歴史資料館 |
| 備考 | 上原勇作から利信孫米子あて |
| 公開解説 | 上原勇作から須田利信の孫米子宛の手紙です。当時、中央で活躍し、郷土を築いた都城出身者たちの人とのつながりがうかがえます。 ≪上原勇作≫ 【誕生~少年期】 1856(安政3)年)に宮丸村(現上町)で生まれました。 幼い頃から礼儀作法や学問などを学び、13歳で明道館の教師に任命されました。その後16歳で上京し、東京大学に合格したのち陸軍士官学校へ入り一番の成績で卒業しました。 【陸軍大臣】 フランスに留学し、ヨーロッパの工兵技術を学びました。日清・日露戦争では参謀として参加し、大正時代には陸軍大臣となりました。 【上原文庫と都城への想い】 陸軍大臣となった記念に、後進教育に熱心だった勇作の思いを汲み都城に「上原文庫」が作られました。喜んだ勇作は故郷都城のために本をたくさん寄贈し続けました。また、都城の学校に全国や海外から教師を招いたりするなど、郷里都城を大切にし、都城のために尽力し続けました。 ≪須田利信≫ 【誕生】 1856(安政3)年に都城虹馬場(現八幡町)に生まれました。 【都城初の博士】 17歳で上京し、勉強に励み工部大学校(現東京大学工学部)に入学。その後、日本郵船会社に入り、イギリスに渡り造船技術や英語を学びました。 帰国後は造船設計の仕事を行い、1898(明治31)年には工学博士の学位を授けられました。のちに日本郵船専務取締役副社長となり、日本の海運界の第一人者になりました。 【都城への想い】 都城商業学校移転費用を全額寄付することを申し出たり、上京してきた若者を書生として養ったりするなど、社会事業などに貢献してきました。 69歳で亡くなりましたが、遺言により宅地とお金を都城市に寄付し、寄付を受けた都城市はその地に「市公会堂」を建設しました。1966(昭和41)年に市民会館ができるまで、都城の文化向上に大きく役立ちました。 |
| 公開解説引用 | 『都城市の歴史と人物【増補改訂版】』『明治百年都城人物誌』 |
| 現所在(入力) | 都島町 |
| 現所在種別(入力) | 保管 |
