主屋

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旧都城島津家住宅建造物群

文化財番号SI-K-006
大分類有形文化財
中分類建造物
小分類名建築物(寺社、城郭、住宅、公共施設)
指定区分市指定
文化財名(ヨミ)キュウミヤコノジョウシマヅケジュウタクケンゾウブツグン
時代区分1近代~現代
員数
点数8
文化財状態見学可
受入区分公有
所蔵館・管理施設都城島津邸
参考文献・報告書名都城市教育委員会文化財課『都城市の文化財』2014
公開解説旧都城島津邸は、明治12年(1879)、島津久寛が鹿児島から帰郷したのち、同年12月7日に居を構えたことに始まります。
住宅建造物群は、主屋、離れ、内蔵、外蔵、石蔵、剣道場、社、門の8棟から成り、旧領主・男爵家であった都城島津家の明治以降の生活を知る上で、貴重な文化財です。

【旧都城島津家住宅主屋】
昭和10年(1935)の陸軍大演習に際し閑院宮の宿泊所になるのに伴い、明治12年に建てられた建物を解体した上で、その間取りと部材を活かして改築と新築が施され、現在の主屋部分が完成しました。主玄関、内玄関を持ち、建物規模が大きく、一般住宅と違う間取りになっています。

【旧島津家住宅離れ】
昭和28年(1953)3月から、母堂が帰宅するのに伴い、増築が行われ、二階部分を設置、翌年3月1日に離れの一部と内蔵部分が完成しました。その後、昭和48年の全国植樹祭に際し昭和天皇の宿泊所として使用されるのに伴い、増改築が施され、現在の形となっています。

【旧都城島津家住宅内蔵】(写真なし)
都城島津家で重宝とされる古文書・古記録や刀剣・銃砲類の保存施設として活用されていました。

【旧都城島津家住宅外蔵】
明治15年(1882)4月、120円で明治5年築造の土蔵を購入し、移築したものです。ここには、多くの古文書・古記録、屏風、甲冑等が収蔵されており、史料保存施設として活用されていました。

【旧都城島津家住宅石蔵】
『都城島津家日誌』によると、昭和5年(1930)12年29日に竣工しました。道路拡張により解体した農芸館の収蔵品(民具)が収納してありました。

【旧都城島津家住宅剣道場】
慶応3年(1867)の建築といわれています。『明治百年都城人物誌』の渡辺甲介の項によると、明治12年に「島津邸に道場を設立し剣道を指南す」とあり、都城島津家がこの地に邸宅を建設したときに移設してきたと思われます。以前は、剣道場として使用していたが、後に炭などを保管する倉庫となり「板倉」と呼ばれるようになりました。

【旧都城島津家住宅社】
昭和10年9月27日に竣工しました。伊勢神宮正殿と同じ神明造で、都城島津家の先祖が祀られていました。毎年、春と秋に御霊祭を行っていました。

【旧都城島津家住宅御門】
昭和10年に建築されました。軒瓦に都城島津家の家紋が入っています。
(令和4年台風により倒壊後、令和6年3月保存修復完成)
参考URLhttps://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/2176.html
備考指定年月日2008/07/08
(国登録と併用だったが、国登録は2024年12月3日付で登録抹消)
公開解説引用『都城市の文化財』
現所在(入力)早鈴町

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