石山城跡

都城市教育委員会文化財課

石山城跡

文化財番号SI-S-016
大分類記念物
中分類史跡
小分類名役所跡、陣屋跡、城館跡、防塁、古戦場その他政治、軍
指定区分市指定
文化財名(ヨミ)イシヤマジョウアト
時代区分1中世~近世
使用年代~元和元年
所蔵館・管理施設所有者
参考文献・報告書名都城市教育委員会文化財課『都城市の文化財』2014
現所在(入力)高城町石山
文化財状態見学可
公開解説大淀川右岸の台地上に位置している。西南方へのびる段丘先端を空堀で遮断することにより区画した主郭部の平面形は、長径約43mの楕円形をなす。北側と東側に土塁状の高まりが残存し、西裾部と南裾部には腰曲輪状の平場が認められる。
『御道中記』には「一、石山城 高さ四間 百五十六間廻り 四方堀 水の手西に有り/右何某の居城の訳相知れず候え共古城と相見し候/定めて茶臼陣・鳥越陣出陣の刻、対陣の処かと相見え申し候。茶臼陣は未申の方四町程、鳥越陣は酉の方二町程有り、当分湯屋権現山と申し唱え候。巽の方に永禄八年(1565)建立の由にて熊野三所権現社在り、往古此の林下に温泉これ有る為の由緒にて湯屋権現山と唱え、且又湯屋園門と申す百姓屋敷有」と記されている。
鳥越は、『庄内平治記』に「天文の初つ方北原構へて城とせり」とある。また、『北郷忠相・忠親・時久三代日記帳』に「北原方鳥越城被取候」とあり、天文(1532~1555)初期には存在していたと思われる。その後北原氏や伊東氏が鳥越に陣を構え、高城を窺っていることから、石山城はそれに対抗するために、北郷氏によって丘陵の先端に設けられた小規模な境目の城であったと推察される。
備考指定年月日2012/10/11

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