志和池城跡(南東から撮影)
都城市教育委員会文化財課
志和池城址
| 文化財番号 | SI-S-006 |
|---|---|
| 大分類 | 記念物 |
| 中分類 | 史跡 |
| 小分類名 | 役所跡、陣屋跡、城館跡、防塁、古戦場その他政治、軍 |
| 指定区分 | 市指定 |
| 文化財名(ヨミ) | シワチジョウアト |
| 時代区分1 | 中世~近世 |
| 使用年代 | ~元和元年 |
| 所蔵館・管理施設 | 所有者 |
| 参考文献・報告書名 | 都城市教育委員会文化財課『都城市の文化財』2014 |
| 参考URL | https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/2910.html |
| 現所在(入力) | 上水流町 |
| 文化財状態 | 見学可 |
| 公開解説 | 大淀川北側の台地端部、標高150.9mに立地している。森田陣跡に隣接し、南西約2.5㎞には野々美谷城、東約3.5㎞には日和城がある。 『庄内地理誌』によると、「本丸」・「二ノ丸」・「西栫」・「新城」・「小城」の5つの曲輪から成っていた。現在は、「本丸」と「ニノ丸」が土取りや公園化・墓地整備等により破壊、「西栫」と「小城」は比較的遺構が残っている。 築城時期については不明であるが、文献上の初出は、永享4年(1432)7月13日付樺山孝久書状に「志和知への御中媒を憑存候」と見える。この「志和知」とは高木是家を示すと思われ、当時の志和池は高木氏の拠点であり、同氏の代名詞となっていたことがうかがえる。志和池城は、この時期には築かれていた可能性がある。 文安5年(1448)頃に高木氏が滅亡した後は、守護島津忠国・豊久(忠豊)が配置された。豊久の子忠尭の代になると、伊東氏が三俣院へ進出し始め、明応3年(1494)夏に伊東・北原両氏から攻撃を受けている。これから間もなく志和池城は北原氏の持城となっていたが、天文年間(1532~1555)になると北郷忠相が攻撃を繰り返し、天文12年(1543)5月に落城、以後は北郷氏の持城となった。慶長4年(1599)の庄内合戦においては、伊集院方の十二外城のひとつとして機能し、同年10月頃から島津方からの攻撃を受け、翌年2月6日に落城した。その後再び北郷氏のものとなるが、元和元年(1615)の一国一城により廃城となった。 |
| 備考 | 指定年月日1974/05/01 |
