定満池水神碑(天保十二年) 附放水路門石柱

文化財番号SI-K-011
大分類有形文化財
中分類美術工芸品
小分類名歴史資料
指定区分市指定
文化財名(ヨミ)ジョウマンノイケスイジンヒ(テンポウジュウニネン) ツケタリホウスイロモンセキチュウ
材質
制作者松下伝次郎
制作者役割石工
制作年(始)1840
制作年(終)1841
時代区分1近世
時代区分2江戸
員数1
点数2
文化財状態見学可
受入区分公有
所蔵館・管理施設所有者
参考文献・報告書名都城市教育委員会文化財課『都城市の文化財』2014
参考URLhttps://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/3692.html
備考指定年月日2010/08/24
公開解説石山観音池(かつては定満池と呼ばれていた)の南東側のほとりに立つ、縦142㎝、横35.6㎝、奥行35㎝の角柱で、四面に文字が刻まれている。正面上部に「水神」と大書きし、その下に5行129文字、左面に5行240文字、背面に4行156文字で、改修工事に至った経緯やこの碑を建てた理由などを記す。背面5行目から右面にかけては、高城郷の役人であった吉田清恒と有村高明が碑文を誌したこと、石工は鹿児島の松下伝次郎であったこと、さらに工事に携わった関係諸役の氏名や門農民の名が記されている。
碑文の内容は、定満池は高城石山村の水田数千町を潤す水源で、周囲は約4㎞、築造じきについては詳しくわからないこと、この池の放水路が毎年壊れるため、郡奉行の町田次郎九郎が藩に願い出て、天保11年(1840)の春に改修工事を行ったこと、それが再び破損したので、郡奉行の町田は再度藩に願い出て、天保12年閏1月から改修工事を行い3月に完成したこと、この工事の完成を民は喜び、藩が7年間貢租の7割を免じたこと、これらのことを後世に伝えるために記録したことなどである。
放水路門石柱は、高さ170.0㎝、横29.0㎝、奥行29.0㎝を測る。正面に「天保十二辛丑五月四日建」と彫りこまれており、天保12年の改修時のものである。この石柱には板をはめ込むための溝が左右両面にある。水路の幅から当時の放水路門には石柱が3本あり、これは中央のものと推定される。天保期の改修工事の実態を示す資料である。
現所在(入力)高城町石山
現所在種別(入力)現地

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