蠣崎 波鶩

人物名(ヨミ)カキザキ ハボク
人物名(英語)Haboku KAKIZAKI
人物名(別名)広伴、将監、柳州
人物名(別名ヨミ)ヒロトモ、ショウゲン、リュウシュウ
国籍日本

略歴・解説

蠣崎波響の実子で、幼名を三七、名は廣伴、将監を名乗り、文化8年(1811)に松前藩奉仕、同11年には御側頭、文政6年(1823)に家督相続して家老職500石となります。慶應3年(1867)、隠居して醒翁と号し、明治7年(1874)2月24日、78歳で没しました。

波鶩は父の波響に絵を学び、初め柳州と号し、のちに波鶩と改めました。波響は息子の画業に期待していたことを示すように、粉本(下書き)に着色して注記を施したものや、手本を残しています。
 しかしながら、父の波響のように画業は振るわず、『ふるさと乃夜噺』(前田浩 著)によれば「晩年素行修らず、或は父の偽筆を作り、或は父の印章を濫用するなどありて世人の指弾を受く」とあります。

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