池田 亜喃

人物名(ヨミ)イケダ アナン
人物名(英語)Anan IKEDA
人物名(別名)祥三、晃能、彩雲坊
人物名(別名ヨミ)ショウゾウ、テルヨシ、サイウンボウ
国籍日本
出身地福山
生年月日(西暦)1829/02/09
生年月日(和暦)文政12年02月09日
没年月日(西暦)1902/09/08
没年月日(和暦)明治35年09月08日

略歴・解説

かつて血脈桜の精霊をなぐさめ供養するとともに、己の煩悩消滅にもなるだろうとして108首の句を詠んだのが、松前藩士であり俳人でもあった池田亜喃です。

亜喃は松前藩士・池田繁右衛門と美濃の六男として、文政12年(1829)2月9日、松前城下の神明町(現在の松前町字神明)に生まれました。幼名を元吉といい、病気がちで歩くことが難しかったようです。名前と身体が釣り合っていないためではないかと考えた両親は、松前藩士の谷梯九十九に相談したところ改名を勧められ、13歳の春に金太郎と改名されました。

成人してからは祥三(晃能)と名乗り、嘉永元年(1848)に足軽を仰せ付けられます。同年、利尻島に上陸したアメリカ人ラナルド・マクドナルドの長崎護送を務め、嘉永三年には松前藩主・松前崇広の江戸参府に付き従い、嘉永六年には択捉島の警護に向かっています。30歳前後になると能筆ぶりが認められ、箱館留守居所の書役、ついで内役所の書役を仰せ付けられました。箱館戦争にも参戦していたようですが、このときの詳細は伝わっていません。

廃藩置県後、亜喃は旧松前城下の馬形町(現在の松前町字豊岡)において醤油販売店を営み、その後、自身の店をたたんで娘夫婦のもと(武田商店)へ身を寄せ、彩雲坊という離れで隠居生活に入ります。
亜喃は松前の俳諧文化の発展に大きく寄与し、明治35年(1902)9月8日、数え年の74歳で亡くなりました。

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