三度飛脚取次処看板

所蔵草津小学校蔵・草津宿街道交流館寄託
解説江戸時代、各宿場には公用の継飛脚と、町人が経営する町飛脚もありました。
この看板は、京都・江戸・大坂の町飛脚が共同経営していた三度飛脚の取次処の看板です。三度飛脚は東海道を通り、月に三度、江戸―京・大坂を往来することからその名がつけられました。草津宿では、三町目の荒物屋九右衛門が取次処となっていました。

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