『肥桶』の画像

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肥桶

時代(公開用)昭和30年頃まで
寸法(公開用:民俗)高さ575×幅φ375㎜
材質
資料解説人の大便や小便は肥料となったので、便所(トイレ)にたまったものを、この桶に入れて田畑に近くの「肥だめ」という保存場所に運び、腐熟させてから肥料として使った。焼印から江戸川区の桶屋で作られたことがわかる。(「東京都江戸川区南篠﨑207桶由製作所」の焼印あり)

昭和のはじめごろには化学肥料が取り入れられるようになったが戦中・戦後は入手困難となり、下肥が多く使われた。国立の農家は、立川や杉並あたりからも人糞尿を運んだ人もいた。そのころは人糞尿をもらうと、農家はもらった家にお礼に野菜などを渡した。1955(昭和30)年ごろまでは、家庭から出た人糞尿(大便・小便)は、肥料として農家で利用されていた。しかし、この頃から農家以外の人口増加に対し農地は逆に減ってきたことや、化学肥料が安く手に入るようになり農家が下肥を使わなくなったことで、人糞尿の回収が追いつかず、全国的に大きな課題となっていった。国立では、この問題の解決のため1958(昭和33)年には化学処理方式の”し尿処理施設”「清化園」の設置がきまり、1961(昭和36)年に竣功した。

桶の釣り手部分を除く高さ450㎜
フタの把手の長さ①長い方425㎜②短い方355㎜ 付属の縄の全長229㎜
参考:『国立の生活誌Ⅵ』P239に「下肥運び」の記載あり
資料番号M02672

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