日傘(表皮付絹描絵)(和傘関係資料)

台帳番号2020002
収集区分1
申請者番号0581
申請者番号2044
時代明治時代~
点数1
公開解説 熊本市における和傘製造は江戸時代に始まったと言います。明治初年には40以上の小規模工場が出来、盛況で、県内でも有数の製造拠点のひとつだったと考えられます。洋傘の進出に伴い、一時衰退しますが、明治35年の大阪内国勧業博覧会を機会に、製品の向上に努めるようになったと伝えます。製造形態は家内制手工業で、一部分業化は進んでいたようですが、完全に分業化がなされていたわけではなく、独自の流通システムや製造システムなどは構築されていませんでした。山鹿や福岡など他産地品に押され、共進会等への出品を通して、熊本傘、肥後傘とブランド化を志向しましたが、難しく、他産地同様に和傘需要の低下とともに衰退し、現在に至っています。
 本資料は北新坪井町に所在した吉田屋傘店製造の女性用の日傘です。
 骨数は30で子骨に着色はなく、飾り糸は絹糸で3段あります。カッパ及び蜘蛛糸は無く、軒は2重張されていますが、全体は2重張ではありません。薄い緑の絹地に白と黄色の花が描かれ、表皮付の親骨は親骨松葉が採用されています。さらに、柄は根付竹と非常に装飾に凝った日傘で、往時の吉田屋傘店の確かな技術を知ることが出来る資料と言えそうです。
 なお、熊本の和傘製造業、当館所蔵の和傘については以下リンクに詳しいものがありますので、ご興味のある方はご覧ください。
 https://kumamoto-city-museum.jp/application/files/9016/9164/7221/20.pdf

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