茶碗

資料ID1596
中分類工芸
小分類陶磁
コレクション分類北出コレクション
法量1点 口径14.6底径5.3高7.3
制作年江戸時代(17世紀)
作者情報萩焼 
 萩焼は、長門国(現山口県)萩の陶器で、その始まりは豊臣秀吉による文禄・慶長の役に際して朝鮮から連れ帰られた陶工、李勺光・敬兄弟によるとされる。慶長年間(1596~1614)萩へ入府した毛利輝元に従い帰化した弟の李敬は坂高麗左衛門と改名し、萩松本中之倉に御用窯を開いた。また、兄李勺光も帰化して山村姓を賜り、その孫にあたる山村平四郎光俊が長門市深川に窯を開き深川焼を始めている。この朝鮮系の他に、大和国三輪(現奈良県桜井市)の人である三輪忠兵衛定利が1673年(寛永3)毛利綱広に召されて休雪の名を賜り御用窯を築いており(もとは永正年間(1506~1520)に定利の曾祖父である源太左衛門が窯を築いたのが始まりとも言われる)、これらは全て一般に萩焼の名称で呼ばれている。上記のうち、深川焼を除く二つの窯は、ともに萩城下に築窯した藩窯であり、毛利家御用の焼物を製作していた。これらの窯は今日まで続いている。
資料解説全体的に枇杷色に焼きあがり、一部青緑色の斑が残る茶碗である。高台から口へむかって広くたちあがった形で、ロクロの挽き跡と口縁の窪みが独特の表情を与えている。高台周りには梅花皮(カイラギ:釉の縮れ)が見られ、井戸茶碗を髣髴とさせる。無銘だが小ぶりで形がよく、独特の品がある作品である。

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