略歴・解説
浮田家は、関ケ原の合戦後に備前宇喜多家から別れて成立した観音寺宇喜多家の筆頭分家ともいうべき家で、「塩飽屋」を屋号とし、塩飽と観音寺をつなぐ問屋業を中心に金融業、漁業のほか様々な地域産業にも関わって経営を行い、明治時代以降にいたるまで観音寺地域における政治経済の中心的存在であった。また、同家は江戸時代に上佐藩本陣を勤め、現在も「御成門」が残るほか、関係文書等が現存している。当館では、浮田家伝来の経営帳簿や寺社修築・祭礼関係文書、本陣・巡見使関係文書2,256件を平成10年度に収蔵し、調査研究を進めている(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成11年度』参照)。家文書に続いて収蔵した本資料は、浮田家に伝来した屏風4双と駕籠1点からなる。屏風は一双ずつ付属の屏風箱に納めて蔵に保管されていたもので、いずれも浮田家所蔵となった時期・経緯等は不明である。「浅草寺遊楽図屏風」(3712)は、右隻に寛永寺の春景、左隻に浅草寺の秋景を描いたと思われる屏風で、桜や紅葉を楽しむ人々の姿や門前町の賑わいが生き生きと表現されている。舞台となっている場所の特定には検討の余地が残るが、香川県内に伝えられた近世風俗画の優作として特筆される。残る3双の屏風は、落款から松山藩御用絵師・松本山月や近世讃岐の文人・後藤漆谷などの作者名が読み取れるが、作者・作年の確定についてはなお慎重な調査研究が必要とされる。いずれにしても、文化面においても重要な役割を担ったと考えられる県内有数の商家に伝来した資料として貴重である。駕籠(3716)は、庶民用の中で最上とさ.れる法仙寺駕籠に次ぐ「あんぼつ(あんだ)」と呼ばれる形式のものと考えられる。使用された時代等は不明だが、専用の駕籠を所有していた浮田家の繁栄の一端を今に伝える歴史資料となっている。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成12年度』より、一部修正し転載)