(資料群)香川家 資料

資料群・作家名(ヨミ)かがわけしりょう

略歴・解説

当資料群は、善通寺市内にある香川氏の実家に残されていたものである。香川氏の実家は戦前、香川商会として善通寺市内で豆腐と食料品の製造販売を営んでいた。今回提供いただいた資料全352件の内訳は、
①戦前の豆腐の製造に係る道具類、また食料品販売に関する帳簿など29件
②戦中・戦後の衣食住に関するさまざまな生活用具類68件
③昭和20年代から30年代にかけての書簡類や昭和40年代の小学校で使用された教材類203件
④戦前戦後の流行歌を記録したSPレコード52件
である。
①の内、4は昭和9年(1934)から昭和14年にかけて、善通寺町豆腐商組合において定められた豆腐・油揚などの価格を記したものである。日中の全面戦争突入、ヨーロッパでの第二次世界大戦の勃発などの情勢を背景とする諸物価の高騰に対処するために、昭和14年9月、国家総動員法が発動され、同年10月20日にいわゆる価格等統制令が施行された。これによって諸物価が9月18日の状態に凍結された。その10月20日にこの組合において製品の協定価格とその統一規格が定められたことが記録されている。また、6・9は翌昭和15年1月からの西讃地区豆腐商業組合善通寺地区内における、材料の大豆・油の配給について組合員毎の数量と金額を記録したものである。陸軍第十一師団の納入業者となっていた香川商会には別枠で材料の数量が確保されていたことなどが記され、戦時中の食糧・物資の統制の実情を伝える資料である。
②には、33・42・43といった戦時中の防空体制の下での人々の暮らしを直接伝えるものから、戦後の家庭電化の時代をものがたる76・79・84・85・86といった初期の家庭電化製品、また、92から97までの昭和48年に県下におこった渇水時に使用された道具類6件など、幅広い内容の資料が含まれている。
③は、昭和40年から昭和47年にかけて高松市内の小学校で用いられた教科書、ワークブック類が大半を占めている。198・199・206・217は、高松市小学校社会科研究会の編集による小学校4年生用の副教材で、番の州工業地帯の建設事業や備讃瀬戸大橋架橋の構想など高度経済成長期の香川県を象徴することがらが教材として採りあげられている。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成11年度』より、一部修正し転載)

この資料群・作家の収蔵品一覧[全350件]

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