(資料群)藤澤家 資料

資料群・作家名(ヨミ)ふじさわけしりょう

略歴・解説

藤澤東畡・南岳父子は高松藩出身の儒学者で、大阪へ出て私塾泊園書院を開き、教育活動に従事した。
寄贈者は直接の子孫ではないが、母が東畡の出身地である安原村(高松市塩江町)の出である。父方も塩江の出であり祖父は上西小学校に勤めていたとのことである。
寄贈者の祖父・父・母は、それぞれ教鞭を取っており、今回寄贈いただいた3幅の書幅は、戦前の教育関係資料として収集した。
藤澤南岳の五言絶句(1)は「訓蒙五十之一」と題して明治35年(1902)に書かれた作品である。「訓蒙」とあるところから、南岳の教育活動の一環から作られた漢詩であろう。
教育勅語(2)は明治23年(1890)に発布された学校教育についての基本方針であり、天皇・皇后の「御真影」とともに各学校に頒ち与えられ、学校の式日には学校長によって奉読された。
3の七言絶句は楠木正成・正行父子を称えた内容である。南北朝時代に後醍醐・後村上天皇に仕え南朝方で活躍した楠木父子は、戦前の教育において、天皇への忠義の見本として教えられてきた。この父子を称えた書幅も、忠孝について教育する際に用いられたものと考えられる。
(五言絶句)
「門地勿嘆微才能勿傷拙至誠
 不愧天何必従鵷列訓蒙五十之一
 明治壬寅首夏南岳恆(白文方印)(朱文方印)」
(七言絶句)
「摂河泉州臣正成 主一児子名
 正行父子忠魂守天子日月
 並輝千早城 (良治書)」
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載)

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