(資料群)出本家 資料

資料群・作家名(ヨミ)でもとけしりょう

略歴・解説

和鏡は平安時代後期以来の歴史を持つが、鏡に柄をつけた柄鏡が登場するのは室町時代の頃である。柄をつけることで、それまで裏側中央部にあった紐が不要となり、背面全体に意匠を施すことが可能となる。江戸時代には、それまでの円鏡に代わり和鏡の主流となる。
江戸時代中期から後期にかけて、髪型の大型化に伴い柄鏡も大型化し、持つことができないほどになる。本資料もきわめて大型である。銘のある藤原吉次は江戸時代中期から後期にかけての鏡師である。
桃山時代から江戸時代初期にかけて鏡の銘に「天下一」の称号をつけたものが多い。これは織田信長が始めた工人たちに対する公許制度であったが、乱用する者があとを絶たないため、天和2年(1682)、幕府によって禁令が出された。鏡師たちは「天下一」の称号に代わり朝廷に対し、金品を贈与する見返りに国名をもらい受け銘に刻むことを許されることになった。本資料には「田中伊賀守藤原吉次」とある。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載)

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