(資料群)JR四国・高松駅 資料

資料群・作家名(ヨミ)じぇいあーるしこく たかまつえきしりょう

略歴・解説

高松駅ははじめ、明治30年(1897)に讃岐鉄道が高松に開通した際に現在の扇町二丁目,県立盲学校付近に建設された木造平屋建ての建物で、当時「西浜ステーション」と呼ばれたという。2代目の高松駅は初代高松駅が桟橋から遠いという不便を解消するため,明治43年の宇高連絡船の就航にあわせ,同年7月1日に完成した。洋風木造2階建てのこの建物(昭和35年(1960)8月焼失)は当時、大阪の梅田駅をもしのぐ規模を誇ったという。
昭和10年代からの高徳線、土讃線、予讃線など四国の幹線鉄道の全通や宇高連絡船の増便などによる旅客・貨物量の増大は、戦後になると、ますます激しくなり、より大きくかつ合理的な駅設備が求められるようになった。3代目高松駅は昭和27年から計画され、昭和32年に着工し、昭和35年3月に完成した鉄筋コンクリート5階建て(一部7階建て)の建物であった。それまでの2代目高松駅と高松さん橋駅を一駅に合わせ、また国鉄四国支社の社屋も兼ねていた。「四国の玄関口」の象徴として広く親しまれた。
高松港頭地区(サンポート高松)総合整備事業にともなうJR高松駅の移転のために平成9年12月19日に営業を止め、その後、平成10年に取り壊された。当資料はその3代目高松駅の最終営業日におこなわれたイベント「さよならフェア」で使用されたポスター、チラシ、幟である。当日は深夜24時におよぶまで、多くの人々が駅に詰めかけた。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載)

この資料群・作家の収蔵品一覧[全3件]

件ずつ表示

PageTop