(資料群)仁尾町教育委員会 資料(2)

資料群・作家名(ヨミ)におちょうきょういくいいんかいしりょう(2)

略歴・解説

讃岐の売薬は千金丹をはじめとして、主として高松や東讃において活発であったことが知られている。しかし、江戸時代以来、三豊郡においても、薬の製造、行商は盛んに行われていた。「売薬営業製造人別控」(明治24年)によれば、三野郡では23名80余種の製造人と薬名が記載されており、その内11名65種が仁尾のもので占められている(「香川県薬業史』)。本資料群は、仁尾町(三豊市仁尾町)曽保の某家より出たもので、各種薬袋・薬の行商などに使用したと考えられる行李・棹秤などからなる。中には、前記「売薬営業製造人別控」に記載のある「土井多吉」などの名前も見え、また各薬袋には、かんの虫や病気をイメージさせる絵、兵隊や虎・鐘鬼などの絵が描かれ、当時の病気観などを垣間見ることができる。また、本資料群には三豊市仁尾町小田壽盛堂・小田明星堂の薬袋と広島県広島市鉄砲町オダ薬局の薬袋が大半を占めている。両者の関係や売薬・卸などのシステム等について、今後検討していく必要があろう。なお、それらとは別に異種の資料として、1の陶製ボタンと75の柑橘燻蒸用ガラス瓶がある。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載)

この資料群・作家の収蔵品一覧[全84件]

PageTop