(資料群)中美家 資料

資料群・作家名(ヨミ)なかみけしりょう

略歴・解説

本資料は、寄贈者と父によってコレクションされた電話機、10秒間洗濯機などの生活製品と寄贈者の父によってお盆に際してつくられた麦藁製の精霊船からなる資料群である。電話交換業務は明治23年に東京・横浜で始まり、高松では明治40年に開始されている。以後、大正期には県内各取扱局で電話交換業務が行われるようになり、昭和8年に高松局で自動交換機が導入されるまでに至った。が、戦中の機器・施設の転用や空襲による破壊で、四国では昭和20年の電話加入者数は戦前の最高時の約半分に落ち込んだ。しかし、戦後の回復と発展はめざましく、昭和23年に加入者数は戦前の水準にまで回復し、昭和32年には、その3倍近くに達し、その後も増加した。その一方で増え続ける需要に追い付けず、設置待ちの契約数(積滞数)は年々増加してゆくという状況であった。また、この年以後加入数の増加に対し、香川県内の各電話局でも自動交換機が相次いで導入され、「すぐつながる電話」が実現されていった。資料中の各種電話機の内、資料17の3号自動車上電話機は昭和8年に、資料21の4号自動式卓上電話機は昭和25年に、資料22の600型自動卓上電話機は昭和37年に開発され、それぞれその当時の標準型とされた機種である。電話による通信の発達と普及を語る基本的な資料といえる。電気洗濯機は戦前からすでに国産の製品が発売されていたが、それは撹拌式といわれた高価で複雑な仕組みのものであった。これに対し、昭和28年に開発・発売された噴流式の電気洗濯機は攪拌式の半分の価格で所用時間も短いという特長が受け入れられ、いわゆる三種の神器といわれた家庭電化製品の中でも最も早く普及した。このことはいかに家事労働の中で洗濯が重労働であって、この機械に対する需要が大きなものであったかを示している。資料2もそうした需要を捉えるべく提案されたもののひとつと考えられる。熱湯を入れ密封し10秒程度激しく震動させると、容器内の圧力が上昇し、繊維に洗剤がよく浸透し効率的に汚れが落ちるという方式で、昭和30年に特許出願されている。中美家は高松市香西にあり、お盆の8月10日すぎには、家で精霊船(ショウロウブネ)をつくる。麦藁のハカマをとったのち、船底からつくりはじめ、カワラ、舳先、舵とつくっていく。麦藁20束ほどで1隻がつくられる。そして最後に半紙で帆をつくり、「西方丸」と墨書される。つくられた精霊船は、仏間の床の間に置かれ、燈篭が取り付けられ、8月15日の晩の満潮時に、近くの本津川の河口から流される。船には、菓子などのお供えや花が供えられ、燈篭にも火が入れられる。また舳先の竹筒には線香も入れられる。戦前は芝山海水浴場まで持っていって流していたという。この精霊船製作と精霊流しの様子は、平成9年8月11日及び15日にβカムテープにて記録撮影を行なった。近年は、麦藁の入手が困難になってきたり、漁業の妨げになるなどの理由から、めっきり精霊船を見ることは少なくなってきた。わずかに発泡スチロールやダンボールなどを利用した簡易な精霊船を目にする程度である。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載)

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