(資料群)川原家 資料

資料群・作家名(ヨミ)かわはらけしりょう

略歴・解説

明治2年(1869)版籍奉還後、公卿と廃止された諸侯とを合わせて華族と呼ばれることとなった。当初は旧特権温存の措置であったが、廃藩置県後藩知事を解任された諸侯の東京への移住や、国会開設運動の興隆を契機に華族制度の改革が行われ、明治17年には華族令が公布された。同22年大日本帝国憲法の制定により華族は貴族院議員の選出母胎として政治的特権を与えられることになる。高松松平家11代藩主賴聡も廃藩置県まで高松藩知事を務め、その子賴寿は明治41年より貴族院議員に選ばれ、昭和12年(1937)からは議長を務めた。 また、賴寿は多くの公共事業にも関わり、私生活においては多分野にわたる趣味を持っていた。書道もその一つで、多くの揮毫の求めに応じた。この書は、松平公益会に残されている揮毫台帳によると、昭和13年5月30日海軍人事部の畠山氏のために書いたもので、その後川原氏に譲られたものである。
(香川県教育委員会『歴史博物館整備に伴う収蔵資料目録 平成9年度』より、一部修正し転載)

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