脇差 無銘 切刃貞宗(焼失名物)
収蔵番号 | MY0#01119 |
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資料番号 | 315 |
内容 | 作者 貞宗 時代 南北朝時代(康永) 国別 相模 造込 片切刃 三ツ棟 長さ 刃長三一・五㎝、全長四二・〇㎝、反り〇・六㎝ 銘 無銘 茎 剣形 (目釘孔)四 (鑢)不明 溶解した金が付着 地 板目つむ 刃 直刃調、乱刃沸づく 彫 (表)梵字(●カーン)、素剣/(裏)腰樋丸留 備考 名物(焼失)、大坂陣にて焼身の後、下坂康継再刃。二重ハバキ、下貝金着、上貝無垢。白鞘に墨書「切刃貞宗 長壱尺五分 代不知/表棒樋裏剱梵字」 |
解説 | 貞宗は、名工正宗の門人でその作風を忠実に継承した。古くから名工として知られ、「名物」とされる作品が数多く存在する。また、貞宗の現存作品の内、4口が国宝、11口が重要文化財となっており、今なお高い評価を得ている刀工のひとりである。 本刀は、明智光秀→細川忠興→豊臣秀吉と著名な戦国大名が所有し、秀吉の子秀頼が所有している時に大坂の陣により焼身となった。茎に付着している金は大坂城が焼けた時の熱で鎺が溶けたものである。 陣後、徳川家康は焼身となった本刀を再び刃を入れて復するように下坂康継に命じ、刀剣として再生された。 再刃後、二代将軍秀忠所持となり、没後、形見の品として水戸頼房に譲られ、その後松平頼重に与えられた。 「切刃」の号は造り込み(刀の形式)の片切刃に由来し、「享保名物帳」の「名物焼失」の部に「大坂御物」として「切刃貞宗」の記載があり、本刀が該当すると考えられる。 |