略歴・解説 | 当資料は、昭和63年に三豊市仁尾町で馬毛製の篩の底網づくりを再現した際に復元された織機一式と材料となる馬毛と牛毛と製品の底網である。
醸造業や、製菓・料理にたずさわる職人の間で篩・水嚢の底網の素材として馬毛が珍重されてきた。それは、金属製の底網と比較すると錆びることが無く、また合成繊維による底網と違い熱に強く、また水分を含むと適度に伸びる点が裏漉などに最適であるからだという。香川では、砂糖黍の糖汁を煮込む際の灰汁をすくいとるのに用いられ、馬毛の水嚢でないと「灰汁をとりきらん」とまでいわれたという。
香川に伝わってきたのは大阪からとも九州からともいわれているが、仁尾町の和国屋が穀物商のかたわら明治32年(1899)に機織りをはじめ,織元として三代にわたって続いた。和国屋では小型の地機を織子に貸し与え,賃織りの家内工業の形態を取っていた。多いときには20人近い織子がいたとのことである。また、取引先は北海道から九州におよんでいたという。
昭和20年代後半から名古屋産のものとの競争が激しくなり、仁尾の馬毛生産は昭和30年ごろに生産が中止された。
本資料収集では、仁尾町教育委員会の協力で織子の経験のある3人の地元の方に実際に馬毛織りの作業を再現していただき、その模様をビデオカメラ等で記録している。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載) |