[江戸名所周遊記]
作家名・資料群名 | (資料群)漆原家 資料 |
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収蔵番号 | UM1#00002 |
資料番号 | 1 |
法量(cm) | 30.0×1、109.7 |
時代 | 明和2.3. |
作成者(→宛所) | 光共 |
内容 | (本奥)「右之一書、明和二年酉三月中旬、光共便書之也」。(異筆)「西讃□比地村、右之巻明和二年酉三月中旬」。前欠か |
香川県立ミュージアム 館蔵品データベース
作家名・資料群名 | (資料群)漆原家 資料 |
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収蔵番号 | UM1#00002 |
資料番号 | 1 |
法量(cm) | 30.0×1、109.7 |
時代 | 明和2.3. |
作成者(→宛所) | 光共 |
内容 | (本奥)「右之一書、明和二年酉三月中旬、光共便書之也」。(異筆)「西讃□比地村、右之巻明和二年酉三月中旬」。前欠か |
資料群・作家名(ヨミ) | うるしはらけしりょう |
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略歴・解説 | 江戸名所周遊記は、江戸の名所の様子が11m以上にわたって書き記されている。奥書によれば、筆者は光共なる人物である。光共自身が三野郡比地村の者か、同村に知人・縁者がおり、江戸の様子を知らせたのかは不明であるが、讃岐ゆかりの人物であることは推測できよう。 18世紀になると各藩で藩札が作成され、取引には藩札が用いられた。尼崎と讃岐の間では、讃岐三白のひとつ綿作肥料となる干鰯取引が盛んであった。文政元年(1818)の尼崎銀札は件の状況を垣間見させてくれる資料である。 (香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載) |