略歴・解説 | 寄贈者は、高橋姓の長男として生まれ、後に母の実家である内田家を継いだ。寄贈者の伯父はドイツに留学して医学を学び、その後中国で耳鼻科の医師となった。昭和10年(1935)に帰国し、坂出市駒止町で開業した。
本資料群は、その伯父に関わるものがそのほとんどを占めている。中でも、特徴的なのは、戦時下の銃後のくらしを物語る資料が多く含まれていることである。出征兵士の見送りに使用した日の丸の手旗(314~317)や、防毒面(311・312)など町内会で使用していたものや、戦争を遂行するために町内会が担った役割・その活動を知ることができる書類綴(19)などの貴重な資料である。これは、伯父が帰国後、町内会の役員を務めていたことから、当家に残されたものである。そのほかに、家庭で使用していたものもある。燈火管制用の電球(334~337)には、実際に取り付けていた場所が記され、家族の防空頭巾には、名前・生年月日・血液型などを書いた名札を縫い付けたものがあり、空襲に備えた様子を伝えている。
寄贈者の伯父が整理・保存していたものとして、国内外の地図や、天皇の死去・即位に関連する新聞記事がある。ドイツ留学中に接した明治天皇崩御のニュースについても、ドイツ国内の各紙の記事を集め、保存されている。
21のマッチラベルのスクラップも、同様に収集したもので、多度津・丸亀・高松など県内のものも多く、昭和初期の大衆文化の雰囲気や、戦時下の様子を伝えるデザインのものもあり、貴重なコレクションといえよう。
ネガフィルム・ガラス原版(76~88)は、患者の写真がほとんどで、中国滞在中、研究用に撮影されたものと思われる。
寄贈者の父も医師で戦時中は福岡県立医専第一附属病院の外科に勤務し、終戦後坂出に戻り、病院を継がれた。高橋家は、旧多度津藩士の家柄で、その家に伝わっていたものとして310の槍がある。また、伝来の経緯は不明であるが、69も、箱に貼られたラベルに、「高橋家蔵」と記されている。この二行書を書いた三土忠造は、香川県の水主村(東かがわ市)出身で、文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣などを歴任し、政界で活躍した人物である。
(香川県歴史博物館『収蔵資料目録 平成10年度』より、一部修正し転載) |